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段原国民学校3年生

のとき、被爆した我が母。
比治山の影で、火傷することもなく、家も焼かれずにすんだそうですが、
母の姉は学徒動員で鶴見橋のたもとで被爆し、
3日後、「米びつに米がない」とうわ言を言い続けて、亡くなったそうです。

と、幼い頃から聞いて育ってきた私。
おかげで、今、娘に話してやることができます。
一年生になった娘も、だんだんと理解できるようになり、
「自分のおばあちゃん」が子供だった頃の話なので、
真剣にきくようになりました。

私が子供の頃、母は「あんまり母さんが被爆者じゃ言いんさんなよ」と言ってました。
健康的な心配もあったようですが、
周囲から「被爆2世じゃけぇ」と見られるのを心配していたのでしょう。
そんな母の心配をよそに、被爆2世であることを隠すことなく生きてきて、
今もブログに書いている私。

アメリカを放浪していたころ、
「日本のどこから来た?」と問われて、「広島」と答えると、
誰にが「おお…」と一呼吸おかれてしまいました。
「学校で習ったよ。地理でなく、歴史の時間に」と。

カリフォルニアのキャンプ場でバイトしていた20代の頃、
キャンプにきていたアメリカ人の子供たちに、
「広島から来たんだよ」というと、
「人が住めるの!?」
「大きな穴があいて、放射能がいっぱいなんでしょ!」と返ってきました。
さらに「私のお母さんは、原爆が落ちたとき、広島にいたんだよ」というと、
さらに驚いて「生きてるの!?」と。

「生きてるから、私が生まれたんだよー」と笑って答えましたが、
こりゃ、しっかり話していかんといけんのんだなぁ…と実感しました。

と言う事実もふくめて、娘に話し聞かせていこうと決意する8月6日です。
コチラ↓お願いします。

by a-kik | 2007-08-06 09:45 | 家族

芥川賞最年『長』受賞に挑む柿(52になったよ)の日常。なんだかんだ走ってます。


by a-kik